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香焼教会の歩み

 香焼にキリシタン信徒(しんと)が来住(らいじゅう)されたのは、今から約180年前の江戸時代末期(まっき)の文化12年(1815年ごろ)でした。
 黒崎(くろさき)(西彼杵郡(にしそのぎぐん)外海町(そとめちょう))や他所(よそ)から当時の蔭ノ尾(かげのお)島(現在三菱造船(みつびしぞうせん)香焼工場(こうやぎこうじょう))に移ってこられた方が最初(さいしょ)ではないかといわれています。
 江戸時代には幕府の命令でキリスト教を信じることは禁じられており、その命令を守らない者は、死刑になるなど信者にとって大変きびしい時代でした。
 しかし、この蔭ノ尾に移った信者たちは、貧しい生活やきつい取りしまりにも負(ま)けず、信じるキリスト教を守りぬきました。
 明治6年、政府は、やっとキリスト教を宗教として認(みと)めました。
 それは親から子へ長い間、ひそかに信仰(しんこう)を守り続けてきた村人にとって大変な喜(よろこ)びでした。



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