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香焼教会の歩み

 しかし、この喜びもつかのま明治7年に伊王島で発生したセキリ(伝染病)は長崎港外の島々に感染(かんせん)したのです。
 その年11月、黒崎教会のド・ロ神父たちの活躍(かつやく)により終息(しゅうそく)しましたが、しかしその年にまた天然痘(てんねんとう)も発生したのです。この時もド・ロ神父はセキリにかかり病(やまい)の床(とこ)についておられましたが、少しよくなられると再び蔭ノ尾島に来られて、治療(ちりょう)にあたられたそうです。
 そして、岩永マキ、守山マツらの浦上(うらかみ)の乙女(おとめ)たちが、感染の危険(きけん)も恐(おそ)れずに奉仕活動(ほうしかつどう)につくしたと言われています。



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