つぎへ



オランダ船を引き揚(あ)げた
喜右衛門(きえもん)さん

 このお話はむかしむかしの江戸時代、わたしたちのすむ香焼のすぐ近くの長崎港口でおこった本当のお話です。
 そのころ、日本は外国と交流(こうりゅう)をしていませんでした。
 それは、キリスト教が日本に広まるのを、その時の徳川幕府(とくがわばくふ)がおそれたからです。
 ただ日本でも1つだけ、長崎港を窓口(まどぐち)にして、オランダと中国との貿易(ぼうえき)をしていました。
 その時代、オランダの船は夏ごろ長崎の出島にきて、しょうのう(今のナフタリン)や銅(どう)などを買い、また将軍様(しょうぐんさま)からの贈(おく)り物を持って秋ごろには帰るというきまりがありました。
 そのころの香焼は香焼島と蔭ノ尾島(かげのおじま)との2つの島で、海岸では松の木やアコウの木がしげり、白い砂浜(すなはま)がつづき、人びとは貝や魚をとったり、畑をたがやしたりしてのんびりと幸(しあわ)せにくらしていました。



喜右衛門さんトップページへ