オランダ船を引き揚(あ)げた
喜右衛門(きえもん)さん
そのころ香焼に、村井屋喜右衛門という、防州櫛ヶ浜(ぼうしゅうくしがはま)(山口県周南市)から来て、地元の漁師(りょうし)をやとい網元(あみもと)をしている男がいました。
この船のしずんだ現地に出向いて、その状況を調べていた喜右衛門は、
「よし、これならば自分の力で引き揚げることができる。金など問題ではない。お世話になった長崎に恩返(おんがえ)しのつもりで自分の金で引き揚げよう。」と奉行所に願い出ました。
しかし長崎奉行所は、引き上げについては「地元の人でやりたい」との考えで許可(きょか)がおりませんでした。
さっそく地元から田中正助、山下兵衛(ひょうえ)という知恵者(ちえしゃ)がえらばれ、いろいろな方法で作業にかかりました。
しかし冬の海は冷たく、また積荷(つみに)のしょうのうが海水に溶(と)けてもぐった者に事故が発生し、引き揚げられませんでした。
それを見(み)たオランダ人からも「私たちが引き揚げます」と申し出があり試(こころ)みましたが、これも失敗(しっぱい)に終(お)わりました。