つぎへ



青少年歌

 昭和のはじめごろ、香焼小学校の先生は、皆(みな)各部落にすんでいました。
 その当時、馬手ヶ浦(まてがうら)部落に久保太一という先生が、馬手ヶ浦クラブ(当時の地区公民館)にお母さんと住んでいました。
 その頃、各部落に「子ども会」があって、みんなでその取り組みを盛(も)り上げました。
 その久保太一先生は、とても勉強熱心で、子どもたちや親たちに信頼(しんらい)されていました。
 子ども会の取り組みの1つとして、潮時(しおどき)には、上級生の「オーイ行くぞ」のかけ声とともに、小さい子も大きい子も全員で貝ほりをして、それを長崎市の館内(かんない)に売りに行きました。
 小さい子どもは、そのお金で、アメを買い、しゃぶりたいのですが、売れたお金は、子ども会の費用(ひよう)にあてるのでがまんしなくてはなりません。



馬手ヶ浦トップページへ