オランダ船を引き揚(あ)げた
喜右衛門(きえもん)さん
岸ではスチュアート船長をはじめ、エリザ号の乗組員(のりくみいん)、長崎奉行所の役人たち、他の見物人たちは、目の前のこの光景をみて「バンザイ、バンザイ」とくり返しました。
その喜(よろこ)びようは大変なものでした。条件(じょうけん)の悪いこの時期に、喜右衛門のねりにねった仕掛け、潮の満(み)ちた時を利用した浮(う)かし方、風力による浜への引き寄せ方など、まさしく喜右衛門の知恵の勝利(しょうり)でした。誰(だれ)かが喜右衛門ではなく知恵門(ちえもん)だといったのは納得(なっとく)のいくことでした。この話はオランダはもちろんのこと、世界中に広まり有名になりました。
翌日から早速(さっそく)、オランダ商館(しょうかん)によってエリザ号の修理(しゅうり)が始められました。喜右衛門の知り合いの船大工たちもこれに加勢(かせい)しました。
また、同時に船底(ふなぞこ)にあった銅(どう)やしょうのうが次々に引きあげられました。
そして完全に修繕(しゅうぜん)の終わった寛政11年(1799年)5月23日エリザ号は長崎を出発しましたが、海上で強い風波(ふうは)にあって破船(はせん)したため引き返し、再び修理を行い、その年の9月20日に、バタビアに帰(かえ)っていったのです。