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オランダ船を引き揚(あ)げた
喜右衛門(きえもん)さん

 喜右衛門は、オランダ人より酒入りフラスコを14本と白砂糖を、長崎奉行所からは銀30枚を、幕府(ばくふ)からは表彰状(ひょうしょうじょう)と船旗(せんき)(日の丸)をほうびとしてもらいました。
 又、故郷(ふるさと)に帰ってから、毛利(もうり)の殿(との)さまより、今まで武士(ぶし)にしか使用できなかった苗字(みょうじ)が許(ゆる)されて、村井屋喜右衛門から村井喜右衛門になり、刀をさすことも許されたのです。
 喜右衛門には亀次郎、音右衛門(寛政8年(1796年)に死去)という2人の弟がいましたが、亀次郎の墓(はか)が香焼町の浦上墓地(うらうえぼち)に、また、音右衛門の墓はとなりの深堀町の円城寺(えんじょうじ)墓地にあります。
 また、深堀神社に喜右衛門と亀次郎が寄進(きしん)した石とうろうが、2墓(き)あります。
 喜右衛門は山口県周南市櫛ヶ浜の原江寺(げんこうじ)の墓地(ぼち)に静かに眠っておりますが、香焼の地においても男の子1人と、女の子3人を育て、今なお子孫(しそん)の方々がこの地に住んでおります。
(おはなし 村井憲一郎)



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