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青春は「弘法(こうぼう)さん」
だった

 男たちは、接待船(せったいぶね)や接待所(せったいしょ)(里は組み立て式の建物)を造りました。
 女たちは接待のために、各家庭から米を出し合い、各々(おのおの)の家でごちそうをつくり、「うちんがたんとが一番おいしか!」と冗談半分本音半分(じょうだんはんぶんほんねはんぶん)で楽しく自慢(じまん)しあい、一晩中(ひとばんじゅう) 寝(ね)ずに接待をしたりして、祭を楽しみました。
 いよいよ大祭(たいさい)の21日は、石段に穴がほげるほどの、大にぎわいでした。
 1日中、参詣者が連(つら)なり、石段の途中(とちゅう)で人が動けなくなるほどで部落の者が交通整理(こうつうせいり)をするほどでした。
 青年たちは、よそからくる若い娘さんが登ってくると、鳥が電線(でんせん)に止まるように、上の石段に並び口々に呼びかけたり、ひやかしたり、また若い娘たちも、それに答えたりして、「弘法さん」は青春そのものでした。



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